ふと途切れた会話。
 無言でボクを見つめる隊長の視線に、ボクの心臓は回転を早めていく。
 だんだん恥ずかしくなってきて、ボクは視線から逃れるように下を向いた。
 でも隊長の手がすっと伸びてきて、そっとボクの顔を上に向かせる。
 ゆっくりと近づいてくる隊長の顔を見ながらボクは静かに目を閉じる。
 感じるのは隊長の手の暖かさと、聞こえてしまうかと思うぐらい大きな音を立てている鼓動。
 かすかな吐息を感じると、そっと唇が重ねられる。
 少しだけ恥ずかしくて、そしてすごく嬉しくて幸せな瞬間。
 このときがずっと続いてほしい…………

   ボクはそう、願った。



レニは一瞬、自分の置かれた状況が把握できなかった。
暗闇に支配された部屋をゆっくりを見回し、ため息をつく。
「ゆめ………か」
レニは起きあがり窓際まで行くと窓を開けた。
夜露を含んだ少し冷たい風が部屋の中に入り込む。
空を見るとやっと東の空が明るくなったところだった。
日が昇りきるまでにはまだまだ時間がかかる。
少しづつ輝きを失っていく星を見ながらポツリと言葉がこぼれる。
「隊長…………会いたいよ。」
大神が巴里へと旅立ってから約2ヶ月、大神のいない日常に慣れてはきたが寂しさは消えない。
特に大神が側にいた時の夢を見ては…………。
レニは日が昇りきるまでずっと空のかなたを見ていた。

レニが中庭でフントに朝ご飯をあげていると、さくらが剣を持って出てきた。
雨が降ったりとかで中庭に出られないとき以外はたいていこの時間に来る。
そして木のそばに座り込み精神を研ぎ澄ますのがさくらの日課だった。
フントもそのことを理解しているのか、このときばかりは静かにしている。
「おはよう、レニ。」
「……おはよう。」
「今日もいいお天気になりそうね。」
「うん………。」
まだ明け方の夢のことを引きずっているレニは、言葉少なげに答えた。
そんなレニが気になったのか、さくらは心配そうに尋ねた。
「なにかあったの?」
「え?」
いったい何のことを言ってるのかわからなくて、レニは困惑の表情で答える。
「なんかいつもより沈んだ顔をしているけど……。」
「なんでも、ないよ。」
レニは首を振って答えたが、さくらはまだ心配そうにレニを見つめていた。
その視線から逃れるようにレニは言葉を紡いだ。
「さくらは毎日剣の修行がんばってるね。」
「ふふふ、ありがとう。
 大神さんはあたしたちを信頼して巴里に行ったんだもの。
 だからいつ何が起こっても帝都を守れるようにがんばらないとね。」
誇らしげな笑顔で答えるさくらに、レニの中で何かが動いた。
でもレニはそれが何かがわからない。
いったいなんだろうと考え始めたところでさくらが再び問いかけた。
「でもその想いはレニもいっしょでしょ?」
でもレニは答えることができなかった………。


「あぶなーい!!」
花やしきでの用事を済ませて帰ってきたレニは、玄関をくぐり階段を上ろうとしたところでその声を聞いた。
声の方へ視線を向けると階段の手すりを滑り降りていたアイリスが、レニを避けようとして空中に放り投げ出されたところだった。
慌ててレニはアイリスを受け止める。
「ありがとう、レニ。」
「無事でよかった。」
レニは安堵のため息をついた。
そして無意識のうちに2階へと視線を向けた。
去年の記憶が鮮やかによみがえる。
あの日のようにあの人が二階から降りてくるのではないかと期待する。
が、当然降りてくるはずもなくレニの胸は痛んだ。
「ごめんね、レニ。
 アイリス、レニが帰ってくるが見えたらか驚かそうと思ってたんだけど………。」
「別の意味で驚いたよ。」
アイリスの言葉にレニは思わず苦笑した。
「あ〜あ、失敗しちゃったなぁ〜。」
アイリスはすねるようにため息をついた。
「アイリス?」
アイリスの言葉には階段を滑り降りるのに失敗したということ以外のことも含まれてるような気がして、レニは首をかしげた
「あの……ね。レニがこのごろ元気がないから、元気でるようにと思ってやってみたの。
 でも反対に心配をかけちゃったら意味がないよね。」
アイリスはごまかすように小さく舌を出した。
「アイリス……。」
「ね、レニ。中庭に行って一緒に花飾りを作ろうよ。」
「うん。」
アイリスの気遣いに嬉しくなったレニは、元気よくうなずいてアイリスと一緒に中庭に向かった。


夕方になり、レニは一人テラスにたたずんでいた。
わきあがってくる入道雲を見ながら思うのはただ大神のこと。
だから声をかけられたときもすぐには気づかなかった。
「……ニ、レニ?」
「え? あ、マリア。」
「どうしたの、ぼーっとして?」
「なんでも………ないよ。ただ雲を見てただけ。」
そういってレニはまた入道雲を見つめた。
それを見てマリアは小さくため息をついた。
レニはずっと寂しそうな目で雲を見ている。
どうしてレニがそんな目をしてるのかはわかる、自分だって同じ思いを抱えてるのだから。
ただ口に出せば少しは気がまぎれるのではないか、と思い聞いてみたのだが。
こういうとき隊長がいれば………
そう思いかけてマリアは小さく首を振った。
「あ、雨………」
レニの言葉にふと空を見上げると、どんよりとした雲から雨が降ってきたところだった。
あっという間におおぶりになりレニとマリアは帝劇の中へ避難した。
水のベールが街の景色をぼやけさせる。
その風景に余計に寂しさを感じたレニは、うっすらと涙を浮かべた。
でも、マリアは反対にくすくすと笑い出した
マリアに気づかれないようにそっと涙を拭いたレニは、いきなり笑い出したマリアを不思議そうに見つめた。
「あ、ごめんなさい」
レニの視線を感じてマリアは笑いをおさめた。
「ちょっと、あのときのことを思い出してしまったから」
「あのときのこと?」
「去年の秋に台風が来たでしょ?
 あのとき台風が来る前に隊長と一緒に備品を買いにいったんだけど、帝劇に帰り着く前に降り出してしまって。
 傘は持っていっていたのだけど1本しかなかったから二人で一緒にさして帰ってきたのだけど、隊長が私をかばってずぶぬれになったの。
 私はほとんど濡れていなかったのに………。」
ホントに隊長らしいといいながらまたマリアは笑い出した。
「マリアは……、笑えるんだね……………。」
レニはポツリと言葉を落とした。
「レニ?」
「ボクは笑えない………。」
「どうして?
 楽しかった思い出はレニにもたくさんあるでしょ?」
「………思い出はある。
 でも思い出すと隊長がここにいないことをよけいに実感して………。」
「レニ………。」
レニはマリアの視線から逃れるように窓の外を見た。
勢いよく降ってくる雨にあの日のことを思い出す。
操られたこと、隊長を傷つけてしまったことを思い出しまた胸が痛む。
「でも、隊長から教わったのはそれだけだったかしら?」
「え?」
マリアの言葉に驚いてレニは再びマリアに視線を戻した。
「隊長から教えてもらったのは嬉しいとか悲しいとかという感情だけじゃないでしょ?
 もっと大切なものを教えてもらったはずよ。」
マリアの目はさっきまでの心配そうなものから力強いものへと変わっていた。
「よく考えて、レニ。
 今のレニを見たら隊長も悲しむわよ。」
マリアのその一言がレニの心を深く突き刺した。


隊長から教えてもらったこと……。
隊長と交わした言葉は一字一句覚えてる。
そう思っていたけど、何か忘れているものでもあるのだろうか?
マリアとテラスで話してからレニはずっと悩んでいた。
隊長から教えてもらったことは忘れるはずないのに………。
いくら悩んでも答えは出なかった。


ある日、レニがフントを散歩に連れて行こうと中庭に行くと、織姫がベンチに座っていた。
「どうしたの、織姫。ずいぶん楽しそうだけど?」
「あ、レニ。会うなりどうしたのはないと思いますけど〜。」
「あ、ごめん。」
レニは慌てて謝った。
「ま、いいですけどねぇ〜」
織姫はレニのしぐさを見てくすくすと笑い出した。
「ちょっと前のことを思い出して笑ってたんです」
「ちょっと前のこと?」
「ええ、少尉さん…あ、違ったもう中尉さんでしたね。
 中尉さんとの会話を思い出して、自分はなんて意地っ張りな子供だったんだろうって。
 中尉さんも大変だったでしょうねぇ〜。」
といってまた笑い出した。
「織姫も………。」
レニはぼそっとつぶやくとうつむいてしまった。
織姫はレニのその態度に気がつくと、下からレニの顔を覗き込んで聞いた。
「レニ、どうしたですかぁ〜?
 いつもより沈んでいるようですけど。」
「…………………。」
「わたしには喋りたくないですか〜。まあ、別にいいですけどね〜。」
そういうと、織姫はすねたようにため息をついた。
「違う、そうじゃない、そうじゃないんだ。
 ただ………。」
自分の態度が織姫に誤解させたと知ってレニは慌てて否定した。
「ただ?」
「ただ………自分がわからなくなったんだ。」
「自分がわからない?」
「この前マリアから言われたんだ。
 ボクは隊長から教えてもらった大事なことを忘れてるって、今のボクを見たら隊長が悲しむって………。
 でも、いくら考えてもわからないんだ。」
レニはどうしたらいいのかわからないという顔をしてまたうつむいた。
「本当は自分で気づくのが一番いいですけど………。」
そんなレニを見て織姫は仕方がないという風に話し出した。
「レニが忘れているもの、それは『心』で〜す。」
「こころ?」
「なにかを大切に思う心。
 大切なものを守りたいという心。
 何があってもあきらめないという心。
 中尉さんから教えてもらったのはそういうものじゃなかったですか〜?
 今のレニは中尉さんがいないという寂しさにとらわれて、そういうものを忘れてしまっているような気がします。」
「こころ……………。」
「私は中尉さんにあって人を思いやる心を教えてもらいました。
 大切な仲間と思い出も………。
 そしてそれがある限り、たとえ離れてても心は繋がってると思いますから。」
「そう、そうなんだ。」
レニは力が抜けたようにすとんとベンチに座った。
「ボクは隊長からこんなに大切なものを教えてもらっていたのに忘れてたんだ。
 確かにこんなボクじゃたとえ隊長に会えても隊長は喜ばないよね。
 ………ありがとう、織姫」
織姫はにっこり笑ってレニに答えた。
レニは赤くなり始めた空を見上げて大神のことを思った。
たとえ離れてても心はつながっている。
そう、隊長のお別れ会のときに織姫はすでにそういっていた。
そのとき隊長もうなずいていたのにそれすら忘れていたなんて。
前を向いていよう、そして今度隊長に会うときに恥ずかしくないように誇れるような自分になろう。
ボクはひとりじゃない、みんながいてくれる。
だから大丈夫。
そう思ったときやっとレニの心に安らぎが訪れた。


再録第2弾です。
むしろ今の私だったら書かないだろう内容に、新鮮さを覚えました(爆)
でもさすがにそのままだと引っかかるところがあるので、手を入れましたけど;


2010/9/25 再録・加筆修正済み

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