メル・レゾン<2>
2008年06月01日(日)

趣味は刺繍とパッチワーク、読書。
特にウェルレーズの詩集を愛読している。
巴里花組出撃時にはシーとともに弾丸列車エクレールの制御、カウントダウンも行う。
なお学生時代から現在にいたるまで、シーとは巴里市内のアパルトメントに同居しており、その様子は『サクラ大戦物語〜ミステリアス巴里〜』でも少しのぞき見ることができる。



真宮寺一馬<1>
2008年06月02日(月)

[1880.6.2〜1918?] CV野沢那智
さくらの父。
陸軍大佐。
宮城県仙台市出身。
破邪の血統。
裏御三家「真宮寺家」の末裔。
北辰一刀流の使い手。
二剣二刀の一振り、霊剣荒鷹を佩刀とする。
サボテンが好きで鉢植えを育てていた。
1912(太正元)年に結成された陸軍対降魔部隊を米田一基と共に発足させた人物。



真宮寺一馬<2>
2008年06月03日(火)

1918(太正七)年、降魔戦争の折、自らの「破邪の血」をもって魔神器を発動させ、太古の呪法により巨大降魔らを封印する。
その際の力の発動により、心身ともに大きな痛手を受け、太正七年三月、自ら仙台の真宮寺家霊廟奥へと下り、入寂した。
戒名は『大武烈刀神居士』。
しかし生前、多くの人を魅了したその人格と器量、霊力は(京極慶吾の「反魂の術」によって悪の”鬼王”として蘇らせられるという)死してもなお茨の道を一馬に歩ませたのであった。



二十世紀の技術論
2008年06月04日(水)

山崎真之介、著。
発行当時、この中で述べられている未来技術に対する鋭い洞察と、数々の先進的な理論体系が専門家の激論の対象になったという。
また後年、この本が科学者の虎の巻といわれ、様々な新技術や発明に貢献したことは、一般的にはあまり知られていないことである。



光刀無形
2008年06月05日(木)

二剣二刀を構成する一振り。
きわめて強い力を持つ霊刀の一つであり、所持者に希望/野望・野心を達成する強い力を与えるといわれる。
降魔戦争時の所有者は山崎真之介。
ゲーム『サクラ大戦2』では反魂の術による復活とともに再び山崎の佩刀となり、同じく第一話で山崎の死とともに鬼王に奪われ、さらに第十二話鬼王(=真宮寺一馬)の消滅によって、大神ら帝撃側の手にするところとなり、四本の霊剣を揃えた「二剣二刀の儀」へと臨むこととなった。



山崎真之介<1>
2008年06月06日(金)

[1897.6.6〜????] CV家中宏
元・陸軍対降魔部隊の一員、元・陸軍少佐。
藤枝あやめの恋人。
後に葵叉丹を名乗る。
悪魔王サタンの転生、心に力への執着を秘めていた男。
天才技術者でもあり、霊子甲冑「光武」、「神武」、「光武・改」は彼自身の設計を元にして作られている。
著書としては『二十世紀の技術論』がある。
二剣二刀の一振り、光刀無形を佩刀としていた。
1913(太正二)年、陸軍対降魔部隊に入隊。
1918(太正七)年の「降魔戦争」において巨大降魔と戦うが、その際、人間の非力さと魔の圧倒的な力に魅せられて、以後、行方不明となった。
その後、彼自身が発見・修得した「反魂の術」により天海を復活させ、逆にその天海から異教の魔神サタンを神降ろしを施され、「葵叉丹」を名乗り黒之巣会のブレーンとなり、帝都の平和を脅かす。



山崎真之介<2>
2008年06月07日(土)

太正十三年からは降魔軍団と猪・鹿・蝶、そして降魔”殺女”を率いて聖魔城の復活、全世界の破壊をもくろんだが空中戦艦ミカサと帝国華撃団の前に敗れ去った。
山崎の設計によって生まれた光武ならびに光武・改は機体として重過ぎ完成度が低かったため兵器として寿命が短かった神武、また都市エネルギーという外部のエネルギー源をも取り込んだためにかえって対武蔵戦などの超霊力戦では暴走の危険がともなった天武、の第二、第三世代の霊子甲冑に対して、純粋に術者の霊力を反映・増幅し、動作するシンプルで強靭な山崎のコンセプトワーク、すなわち蒸気霊子併用型霊子甲冑の一つの完成形を(事の始まりから)すでに提示し得たともいえる。



山崎真之介<3>
2008年06月08日(日)

1925(太正十四)年、黒鬼会の本格的な始動にあわせ、京極慶吾(と鬼王)の反魂の術によって復活させられ、帝撃を襲撃。
しかし、この時点で山崎には叉丹=サタンであったころの強大な神性の庇護はなく、結局は帝都花組に敗退。
死の直前になって自我を取り戻し、米田と花組に対して、帝撃の「正義」を否定し、帝都の怨念と新たなる敵の存在について示唆したものの、鬼王の背後からの一突きによって、黒鬼会(=京極慶吾)からの「血の挑戦状」として使い捨てられた。
なお、山崎自身も八鬼門封魔陣による降魔の怨念を帝都繁栄に変換するシステムについては激しく嫌悪していたと思われる。



光武の設計図
2008年06月09日(月)

『熱き血潮に』第6話より。
山崎真之介が残した光武の設計図。
なお、同図には「この霊子甲冑が人々の希望となりますように」というメモが残されていた。
(後に米田らとは道を異とした)山崎という天才科学者の心の一端が垣間見える書き込みである。



神崎重樹<1>
2008年06月10日(火)

[1872.6.10〜] B型 身長168cm 体重58kg CV江原正士
神奈川県出身。
神崎財閥の現代表。
すみれの父。
神崎重工の経営責任者。
日本に「人型蒸気」を輸入し重工業に偉大な足跡を残した先駆者である神崎忠義を父にもち、恵まれた環境で育つ。
青年時代にはイギリス、フランスに留学し、産業革命以降の重工業経営についての知識を蓄え、帰国後、神崎重工の経営トップ、神崎活動写真の社長となった。
1906(明冶三九)年、女優となった冴木ひな(神崎雛子)と結婚。
翌年、すみれが誕生した。



神崎重樹<2>
2008年06月11日(水)

とかく偉大な父と比較され、凡庸と評されることの多かった彼だが帰国後は、英国流の洗練された礼式、鮮やかな弁舌で社交界の寵児となった。
だが、父親である神崎重樹には妻の雛子共々頭が上がらない。
ゲーム『サクラ大戦2』第三話および第十話では、娘すみれに対する子煩悩で、(愛情があるばかりに)多少頼りなげな印象を受ける表情ばかりが目につくが、彼を知るほとんどの人間が見ているのは、それとはまったく逆のお洒落で不安など微塵にも感じさせない社交向けの顔である。
そんな重樹も1927(太正十六)年春、帝国華撃団/帝国歌劇団を引退した娘・すみれが実家へと戻り、事業を継ぐための修行に入る決心をしたことには一安心とともに(ビジネスという新たな戦場へ娘を送り出さざるを得ない)親としても事業主としても内心相当に複雑な思いであろう。



巻菱子爵【まきびしししゃく】
2008年06月12日(木)

巻菱財閥の総帥。
ゲーム『サクラ大戦2』に登場。
ビジネス上の顔とは別に、息子・洋一郎を溺愛、かつ己の理想どおりの帝国貴族に育てようと奔走する父親でもある。
太正十四年六月、神崎忠義からあった縁談申し出に狂喜し、これを受けたものの、帝都花組の乱入とすみれ自身の意志により、お見合いはあえなく破談となった。



すみれの見合い騒動
2008年06月13日(金)

『サクラ大戦2』第3話より。
横浜の神崎邸に帝都花組が乗り込み、すみれの意に沿わない縁談を妨害し、彼女を花組に復帰させた一連の騒動。
”米田長官重体””帝国華撃団への資金援助が断たれる”という帝国華撃団の危機を前に、合流して日も浅い元星組の二人(織姫・レニ)を含む花組隊員同士の結束が強まる契機にもなったが、一方で、カンナの蹴りによって破壊された正門、コテンパンに伸(の)された神崎家のボディガード達、、そして”きっぱり”と婚約を拒絶された巻菱親子、怒り心頭の神崎忠義…と被害者も多かった事件であった。



桜武
2008年06月14日(土)

小説『サクラ大戦前夜』第一話、OVA第一期『桜華絢爛』第一幕。
子(ね)型霊子甲冑。
神崎重工が川崎工場で開発した、蒸気併用霊子機関を搭載した霊子甲冑の一号機。
記念すべき日本初の国産霊子甲冑であり、後の光武の基礎モデルにもなった。
その試乗を神崎すみれが行い、日本で初めて霊子甲冑を起動させることに成功するが、試作一号機は大破。
二号機から四号機はすみれの指示で三色に塗られ、「三色スミレ」と呼ばれたのは有名な逸話である。



八鬼門封魔陣<1>
2008年06月15日(日)

「八鬼門封魔陣(はちきもんふうまじん)」とは江戸(帝都東京)が造られた際に、徳川家康と天海によって設計・建設された「都市繁栄のための妖力(霊力)循環システム」であり、江戸三〇〇年の繁栄をもたらす原動力ともなったものである。
ゲーム『サクラ大戦2』に登場。
だが、1850年から1923年(太正十二)までは、(大江戸大空洞に星龍/ミカサを建造させた)京極家の妨害によってその機能は停止させられていた。
ところがかつての江戸復興を願い、その封印を解いた天海の「六破星降魔陣」によって「八鬼門封魔陣」は復活し、その結果、陰陽師の末裔、京極慶吾は「八鬼門封魔陣」そのものの破壊をめざし、「黒鬼会」を組織し、新たな帝都の怨霊王たらんと野望をふくらませることとなった。



八鬼門封魔陣<2>
2008年06月16日(月)

封魔陣は、帝都の八つの地点に「(魔封じの)鳥居」を埋め、これらの地点から江戸(東京湾)の地下に封じられた大和の民(降魔)の怨念を吸い上げ増幅・変換して、都市の繁栄のための(主に精神的)エネルギーとして使用される。
都市エネルギーを使用して発生した都市に生きる人間の欲望や悪念に染まったエネルギーは、王子の「大鳥居」を通って排出され、日光東照宮へと送られ、浄化される。
このシステムの中で封魔陣そのものは「核反応炉」、鳥居は「制御棒」、そして余剰の悪念エネルギーは「放射性廃棄物」にあたるものといってもよい。
そして、燃料は地下に封じられた怨念なのだ。



八鬼門封魔陣<3>
2008年06月17日(火)

よって、京極(と配下の黒鬼会)の手によって、帝都の「鳥居」が中から一つずつ呼び出されれば(取り出されれば)、地下の怨念は抑えを失って増幅し、帝都には怪異が増えてゆき、しだいに魔物が実体化して跳梁(ちょうりょう)こととなる。
そして最後の「王子」の封印が解かれた時、魔物の怨念は一気に噴き出し、帝都の大部分を瞬時に破壊し、その莫大なエネルギーは日光の上空に漂っていた精神エネルギー体「武蔵」を目覚めさせるのだ。



マリア・タチバナ<1>
2008年06月18日(水)

[1903.6.19〜] O型 身長186cm 体重65kg BWH88/60/90 CV高乃麗
ロシア=ウクライナ、キエフ出身。
父はロシア外交官ブリューソフ=ワリー・ドミートリエビッチ、母は日本人、橘須磨。
エンフィールドNO.1MkIスター・改を愛用する銃の名手。
常に沈着冷静でリーダーとしての資質も高い。
1922(太正十一)年、アメリカ・紐育でギャングの用心棒として荒れた生活を送っていた所を、藤枝あやめにスカウトされ、結成されたばかりの帝国華撃団・花組に初代隊長として参加。
1923(太正十二)年春、大神一郎海軍少尉(当時)が二代目隊長として着任して以降はチームリーダーとして舞台/部隊のまとめ役に徹した。
また太正十三年から十四年の間、大神一郎が帝都を離れていた際もマリアの肩書きは「隊長代理」であった。



マリア・タチバナ<2>
2008年06月19日(木)

マリアの少女時代はスパイ容疑がかかった両親と共にシベリアに流刑となる所から始まり、後にレジスタンスに身を投じ「クワッサリー」の異名をとり、さらに兄とも慕うレジスタンスの隊長ユーリーを目の前で死なせてしまう…という過酷かつ悲劇的なものであった。
そのマリアが帝国華撃団/帝国歌劇団として過ごすうち、いかに失われた時間や心を取り戻していったかはゲーム『サクラ大戦』以降の物語に詳しい。



マリア・タチバナ<3>
2008年06月20日(金)

『サクラ大戦4』までに登場した彼女の必殺攻撃、及び合体攻撃は
「スネグーラチカ(Снегурочка)」
「パルークヴィリオイ(Парк Вилиой)」
「ゾロティボロータ(Золотые Ворота)」
「ピーカヴァヤダーマ(Пиковая Дама)」
「トローイツァ(Троица)」
「シェルクーンチク(Щелкунчик)」
「スミィエールヌイ・ターニェツ(Смертный Танец)」
「スィリナーダ(Серенада)」
「リディニーク(Ледник)」
「ブードゥシシイ(Будущее)」
…である。



ジェミニ・サンライズ【Gemini Sunrise】
2008年06月21日(土)

アメリカ・テキサス州出身。
テキサス生まれの元気なカウガール。
師匠・ミフネの遺言に従い、愛馬ラリーと共に、紐育にやってきた。
明るく元気で、疑うことを知らない無邪気な少女。
ミフネの影響か、ニッポン、特にサムライと時代劇に強いあこがれを持っている。
紐育に到着してからも、師匠から託された愛刀「レッド・サン」を大切にし、日々、剣術の修行を続けている。
すぐに妄想にふけったり、ダジャレを言うのが好き。
時には時代劇のお姫さまになったり、時にはミュージカルスターになったりと、その妄想はとどまるところを知らない。
だが、その反面、堅苦しい礼儀や世間的な常識には無頓着で、思考も大らかで健康的、自然や動物、草の匂いが好きで言動の端々に彼女を育んだ雄大な大草原のイメージが漂う。
テキサスから来た田舎娘ではあるが、紐育の人たちにはない、相手を安心させるやさしい魅力にあふれている。
そのためか、機械の扱いに慣れておらず、複雑な機械は、ジェミニが触れるだけで壊れることも…。
紐育に来た当初は、都会的な雰囲気になじめず、自信を失っていたが、新次郎たちにはげまされ、自分を受け入れたジェミニは、念願だった、紐育華撃団・星組に入隊し、リトルリップ・シアターのスーパースターとして、活躍することになる。



エンフィールドno.1MkIスター
2008年06月22日(日)

マリアの愛銃。
エンフィールド・改。
この銃はマリアによって大幅に改造され、手を加えられているため、正確に言うと「エンフィールドNo.1MkIスター・改」である。
マリアの銃はロシア革命前夜の革命軍側に大量に流出し、支給された物に、幾多の改良を加えたもので、ほとんど原形を留めていないほどである。
ちなみにラジヲ「有楽町帝撃通信局」第六回でマリアが”徹甲弾が秒速400マイルでドテッ腹ぶちぬくわよ”と深川のならず者を威嚇しているが、380エンフィールド(9mmX20R)弾を使用したファクトリー・アモ製エンフィールドno.2では初速183m/秒(秒速409マイル)というデータがあり、これは実にマリアらしいきわめて正確な数値である。



ラチェット・アルタイル【Ratchet Altair】<1>
2008年06月23日(月)

[1906.6.23〜] A型 身長162cm 体重48kg CV久野綾希子
アメリカ人。
紐育(ニューヨーク)ブロードウェイの舞台に君臨するトップスター。
天才俳優。
10歳で大学院の修士課程を卒業、頭脳明晰、容姿端麗、常人離れした運動神経の持ち主。
また、万人を魅了する天使のような歌声をもち、英語はもとより各国の言葉、もちろん日本語にも堪能である。
さらに非常に強力な霊力の持ち主であり、欧米の霊能力者を集めて結成された実験部隊・欧州星組ではソレッタ・織姫、レニ・ミルヒシュトラーセらと共に12歳で入隊し、藤枝かえでの指導の下、隊長を務めていた。
常に合理的、論理的であることを要求・追及し、無駄な事を嫌う完全主義者である。
武器としては投げナイフを好み、彼女専用のアイゼンクライトの武装も投げナイフとなっている。



ラチェット・アルタイル【Ratchet Altair】<2>
2008年06月24日(火)

戦いにおいては敵に一切容赦しない。
またそれとは裏腹にアメリカ人気質として、陽気で打ち解けやすく娯楽を好む一面があり、いわゆる「砕けた」態度をとることもできる。(しかしその本心が明かされることはほとんど無い)
欧州星組解散後は賢人機関の保護のもとアメリカ・紐育で女優として活動し、最高の評価と名声を得ていたが、1926(太正十五)年、賢人機関のエージェント、フィル・トンプソンの報告(合理性の感じられぬ組織活動が行われている)に疑問をもったラチェットは、きたる紐育華撃団結成にそなえ、帝国華撃団・花組の実態・有り方を参考にするため帝都行きを決意。
公(おおや)けには女優として「世界進出」するためと発表し、一人東京に向かう客船フロンティア号に乗りこんだ。



ラチェット・アルタイル【Ratchet Altair】<3>
2008年06月25日(水)

1926〜1927(太正十五〜十六)年、帝都でDS(ダグラス・スチュアート)社とブレント・ファーロング、魔術師パトリックが巻き起こした「ヤフキエル事件」では、帝都花組に合流し戦いながらも密かにブレントと手を組み、ラチェット自身の理想とする都市防衛の形を見出そうとするが、ブレントの野望の実態が明らかとなり(ラチェットは利用されていただけということが判明し)挫折。
後に自ら真実を打ち明けたラチェットは、大神一郎ならびに帝都花組に赦され、1927(太正十六)年春、『海神別荘(再演)』主演後、米国に帰国した。



欧州大戦の映像
2008年06月26日(木)

『熱き血潮に』第6話より。
欧州における実戦部隊”欧州星組”によって(敵の人型蒸気ごと)街一つが破壊されていく様が記録されたフィルム。
紅蘭はこの映像を見たことから発明=蒸気機械がもたらす破壊の力に対する恐怖と怒りから、心に深い傷を負うこととなった。



欧州星組<1>
2008年06月27日(金)

あるいは”星組”。
帝国華撃団構想(帝撃構想)の端緒として日本の帝国華撃団に先駆けて欧州で編成された「霊力戦士=舞台俳優」の集団。
”欧州星組”とは後の”帝都花組”、”巴里花組”に対応する呼称である。
この欧州星組については現在『零號文書』(nullbericht[独]/zerorapporto[伊])という資料が残っているが、内容のほとんどに検閲が入り、規模や部隊構成、訓練場所やその内容などの詳細は今のところ、まったく闇に包まれている。
太正十六年現在で確認できる欧州星組メンバーは、ソレッタ・織姫、レニ・ミルヒシュトラーセ、隊長であったラチェット・アルタイルの三名である。



欧州星組<2>
2008年06月28日(土)

1918(太正七)年、日本で『降魔戦争』が終結した後に世界屈指の霊力エージェントとして藤枝かえで(当時十六歳)が賢人機関の協力のもと渡欧、秘密機関「ブルーメンブラット」からレニ・ミルヒシュトラーセ(当時八歳)を救出した。
これが「ブルーメンブラット事件」である。
その後、ソレッタ・織姫(当時十歳)、ラチェット・アルタイル(当時十二歳)をはじめアメリカ・ヨーロッパの優秀な霊能力者たちを集め、救出したレニを加え「欧州星組」は発足した。



欧州星組<3>
2008年06月29日(日)

欧州星組は、後の帝都花組、および霊子甲冑「光武」完成のための重要な(極めて優秀な)データを残していたが、1918年(太正七)冬、「星組計画」凍結され、欧州星組は解散となった。
「欧州星組」が本格的な部隊として活動しえなかった原因は諸説あるが、彼らが使用した人型蒸気の実験機体(当時は霊子甲冑という言葉はなかった)アイゼンクライトI型が未完成だったためと、あまりに低年齢で精神的に不安定だった隊員たちが霊力爆発(ゲシュタルト・エクスプローズィオン)を多発したためとも言われている。



欧州星組<4>
2008年06月30日(月)

ヨーロッパのエリート部隊、欧州星組メンバーであるレニ、織姫が戦場で本格的に活躍するのにはアイゼンクライトの完成、そして日本の帝撃から招聘される太正十四年まで待たねばならなかった。
また、1926(太正十五)年、ラチェット・アルタイル来日の際には、欧州星組メンバー三人の再集結を果たしたがラチェット自身の背信により、またしても欧州星組メンバーによる真の協調や存分な活躍には至らなかった。




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