藤枝あやめ<2>
2008年08月01日(金)

美しき大和撫子(やまとなでしこ)。
時折覗かせる陰が魅力を倍加させる大人の女性。
趣味は日本舞踊、生け花は花柳院流免許皆伝。
銃の名手で、かつ合気道大藤流合気術の使い手でもあり、さらに現在わかってるだけでも、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を自在に使いこなす才媛でもある。
1914年、陸軍対降魔部隊に入隊。
以後、米田一基、真宮寺一馬そして山崎真之介(葵叉丹)とともに降魔との戦いに身を投じる。
その間に山崎(葵叉丹)とは恋仲になるが、1915年の「降魔戦争」の際に山崎は行方不明となり、彼女自身も気づかぬうちに最強の降魔となる「種」を植えられてしまう。
その後、米田の有能な片腕として「工房」である花やしき支部を任され、「帝国華撃団」の基盤を作るべく活躍した。



藤枝あやめ<3>
2008年08月02日(土)

あやめと妹かえでは裏御三家の「藤堂」につらなる「藤」の家系藤枝家の人間であり、姉妹はいざとなれば強大な魔的な存在や怨霊に対して、身を挺して「神降ろし」や「霊鎮め(たましずめ)」を行う運命にある。
太正十二(1923)年末には神剣白羽鳥を妹かえでに譲り、翌年初頭には大神にも愛用の銃を譲るなど、あやめは自分の未来について予感していたようである。
1924年、葵叉丹・降魔との戦いで降魔・殺女へと変身し、後に大天使ミカエルとして文字通り昇天する。
その遺志と生前の言動は、妹かえでに受け継がれ、帝国華撃団の精神的な支柱となって生き続けている。



モーリス・ブラン【Morris Blanc】
2008年08月03日(日)

[1874.8.3〜] A型 身長174cm 体重64kg CV廣田行生
サンテ刑務所所長。
責任感が強く、厳格で、規則を重んじる性格。
所内では絶対的な権威を振りかざす一方で小役人的な狭量、小心(臆病)な面を兼ね備えており、1924(太正十三)年の大悪党ロベリア・カルリーニ収監に際しては厳重すぎるほどの6号監房(地下15m、シルスウス鋼製)を用意していた。
後の1926(太正十五)年、ロベリアが一般監房に移されてからは囚人としての彼女が以前と比べ随分大人しくなったにも関わらず、絶対脱獄不可能といわれるサンテ刑務所をホテル扱いする”悪党”のふてぶてしい態度にモーリス署長の不満は募るばかりである。



翔鯨丸<1>
2008年08月04日(月)

武装飛行船。
太正六年、山崎真之介設計。
全長130.924m、上翼両端までの全幅が90.355m、砲架下端までの全高56.942m。
兵器・人員輸送を主な任務とするが、機体下部の主砲によって対地支援を行うこともできる。
主砲は装弾から発射まで完全自動化されており、その威力は霊子甲冑の武装を超えている。
また、ブリッジや各所にシルスウス鋼がふんだんに使われており、対魔物戦にも耐えうる武装飛行船として防御面でも可能な限りの対策がとられている。
また、バルーンの素材もシルスウス鋼の金属繊維である。



翔鯨丸<2>
2008年08月05日(火)

翔鯨丸のコンテナ(轟雷号共用)には光武/光武・改/神武/天武/光武二式などの霊子甲冑を最大十機まで格納できる。
また、零式空中回収装置を搭載してるため、着陸しなくても地上の霊子甲冑を回収できる。
翔鯨丸は帝撃花やしき支部の地下に格納され、有事の際には地上格納甲板を展開して発進する。
巡行速度は非武装積載時76ノットと飛行船としては常識を超えた速さである。
初代操縦者は藤枝あやめ。
あやめが帝撃を去った後、一時操縦を桐島カンナが引き継ぎ、太正十三年からは藤枝かえでが行っている。
また、OVA第二期『轟華絢爛』第六話、高機動蒸気ドライブを使用した仙台への緊急出動の際はレニが操舵を担当した。



神崎すみれ引退記念公演『すみれ』
2008年08月06日(水)

帝国歌劇団・花組、太正十六年四月公演の演目であり、主演はもちろんすみれ。
同年四月に突然発表された”帝撃スタア”神崎すみれ引退の報は演劇界、マスコミ、帝都市民…そして他ならぬ帝都花組をも揺るがす一大センセーションとなった。
帝国歌劇団では彼女の功績をたたえ、引退に花を添えるため、単独レビュウショウ公演という異例の形式を選択、また公演後には銀座で大パレードを行い帝都市民の熱狂的な喝采を浴びた。



天岩戸作戦
2008年08月07日(木)

『熱き血潮に』第6話より。
光武にこもって出てこない紅蘭のために帝都花組が”あの手この手”を考えた作戦の名前だったが、結局成果はあがらなかった。
命名は神崎すみれである。



太田斧彦<1>
2008年08月08日(金)

[1888.8.8〜] O型 身長199cm 体重65kg CV郷里大輔
”愛と美の秘密部隊”帝国華撃団・薔薇組(を名乗り大帝国劇場地下で謎の活動を行っていた集団)の一員。
ゲーム『サクラ大戦2』第五話より登場。
長野県出身。
自分のことを「アタシ」と呼ぶ。
陸軍における階級は軍曹。
男らしく厳(いか)つい身体に、乙女の繊細な心を持ち、いい男に弱く、世話好きで、抱きつき魔でキス魔でもある。
趣味はお化粧、(毛糸の)編みものと舶来のドライフラワー作り。



太田斧彦<2>
2008年08月09日(土)

しかし、いかに女性的な言動を好むとはいえ、そこは陸軍の情報将校でもあるわけで、各種兵器の扱いや陸軍内の機密情報に通じ、彼自身も優れた柔術の使い手でもある。
中でもハダカ締め(厳密にいうと柔術の技ではないが)、ケサ固め、タテ四方固めなど身体的接触範囲の大きい技を得意とする。
また他の薔薇組隊員同様、神出鬼没であり『サクラ大戦活動写真』では帝国華撃団解散の危機に瀕し、さらに隊長・大神の不在、隊長代理・マリアが行方不明という状況におかれた帝都花組の前に、貴重な情報をもって現れ、ヤフキエル事件を解決に導くきっかけを与えた。
なお薔薇組は太正十六(1927)年春に解散している。



キネマトロン
2008年08月10日(日)

紅蘭が開発した携帯通信機。
サイズは小型カバンほどで、紅蘭の発明のわりに「バクハツ」した例は未だ報告されておらず、採用された太正十四年からは帝国華撃団の任務に欠かせない装備となっている。
なお、同太正十四年には英国でテレビジョンの実験が始まっているものの、音声による無線が主流の時代に、海外からも映像つきの相互通話が可能なこの装置はまさに驚異である。
また、後に開発された「携帯キネマトロン」は手のひらに収まるほど小型化されたがこちらは受信専用であり、その機能も本部からの着信シグナルと文字情報を受け取ることができるという必要最低限のものに留まっている。



エヴァのカフェ
2008年08月11日(月)

モンマルトルにあるカフェ。
『サクラ大戦3』に登場。
いかにも巴里のカフェらしく、お洒落で町並みに溶けこんだ居心地のよい店であり、快活で面倒見のよい女主人エヴァを慕う人も多く、テラスも店内も市民や観光客でいつも賑わっている。
大神の借りたアパルトマンの側にあり、巴里にいる間、食事や待ち合わせなどの場所にもよく使われた。



エリカの天使(小)
2008年08月12日(火)

OVA『エコール・ド・巴里I〜夜明けの花〜』より。
エリカが気絶した際に眼前を飛び回っていた小さな天使。
失神から覚めるのにも天使を見るというのはエリカがいかに敬虔な信仰をもつシスターであるかという証…と言えるであろう。



”奇跡”の力
2008年08月13日(水)

エリカが発揮する霊力。
その数々の顕現。
エリカは物心つく前からすでに周囲を驚かす霊力を発揮していた。
それは例えば何もない地面から清らかな泉を湧き出でさせたり、手で触れただけで人のケガを治したり、壊れたものを元通りにする…というものだったが、人並み外れたその”力”は敬われると同時に畏れられ、エリカをして神に仕えるシスターとしての道を選ばせる原因となった。
その選択が(当人にとって)正しいものであったかは、現在も衰えなく発揮されるエリカの霊力を見れば疑いない事である。



フォンティーヌ夫妻
2008年08月14日(木)

橋の下に捨てられていた赤子であったエリカを引き取って育てた夫婦。
巴里市民。
実の娘ではないものの、善良な二人がエリカに注いだ愛情は本物で、それがエリカの(周囲にとっては時に危険なほど)天衣無縫な性格を形作ることとなった。
そんな夫妻もやはり娘が持つ”奇跡”の力には畏れを隠せず、また自分が育てられた経緯を知ったエリカ自身がフォンティーヌ夫妻にこれ以上負担をかけたくないと感じたため、エリカは家を離れ、モンマルトルの修道院に入ったのであった。



エリカ・フォンティーヌ【Erica Fontaine】<1>
2008年08月15日(金)

[1909.8.15〜] A型 身長156cm 体重45kg CV日高のり子
巴里華撃団・花組隊員。
テアトル・シャノワール・トップダンサー。
同劇場での芸名は『クロネコ・エリカ』。
演目Valse de Chatte Noire(黒猫のワルツ)で観客の目を楽しませている。
モンマルトルの教会(修道院)に勤めるシスターであり、赤い修道衣を身にまとい、レノ神父の指導のもと巴里の恵まれない人々のために働いている。
明るく、元気で、優しく、心清らかだが、そそっかしくて早とちりでドジで思い込みが激しく、一般常識や世俗からかなりズレた独特の感性を持つ少女である。



エリカ・フォンティーヌ【Erica Fontaine】<2>
2008年08月16日(土)

育ての親であるフォンティーヌ夫妻の元を離れ、神への敬虔な信仰を持つ(新米)シスターとしてモンマルトルの教会(修道院)に入ることを許されたエリカだが、一生懸命”ドジをする”あまり、行く先々でトラブルを引き起こし被害を拡大し続ける要注意人物となってしまっている。
太正十五(1926)年、住居を修道院からテアトル・シャノワール内に移した。
プリンが大好きで、殊(こと)この話題になると持ち前の寛容さは影をひそめる。
霊子甲冑”光武F”を操る巴里花組メンバーとして巴里華撃団の立ち上げから参加した。
太正十六年(1927)年、黄金蒸気事件で帝都東京が危機に瀕した際、来日し大久保長安を撃退、滅ぼす(浄化する)戦いに参加した。



エリカ・フォンティーヌ【Erica Fontaine】<3>
2008年08月17日(日)

戦闘では(そして日常生活でもしばしば)武器として二連マシンガン”ガブリエル【Gabriel】”を撃ちまくる。
なお携帯に便利な単銃身タイプの”ラファエル【Raphael】”も存在する。
『サクラ大戦4』までに登場した彼女の必殺攻撃、及び合体攻撃は
サクレ・デ・リュミエール(sacre de lumiere)、
グラース・オ・スィエル(grace au ciel)、
パラディスク・ポルト(paradisiaque porte)、
ハレルヤ(alleluia)、
ベネディクスィオン(benediction)
である。



山口和豊<1>
2008年08月18日(月)

[1855.8.15〜] B型 身長164cm 体重59kg CV羽佐間道夫
帝国海軍大臣。
ちなみに海軍大臣というのは(大神や加山が属している)海軍の最高司令官であるが、着物姿で随員もつけず料亭や大帝国劇場にふらりと現れる姿や、能天気なまでに豪快奔放な言動はとてもそういった立場の人間と周囲に思わせない。
しかし、ゲーム『サクラ大戦2』第四話では火の海となった料亭の中にあっても、まったく動じない将たる器量の片鱗を見せている。
また山口の履歴を紐解くと、若かりし頃には上役からの注意や(非公式な)罰則適用の記録が多く見られ、そうとうに”暴れん坊”であったことがうかがえる。



山口和豊<2>
2008年08月19日(火)

その大らかな性格通り、最高位にある老練な軍人にもかかわらず柔軟な思考と穏健な思想の持ち主でもあり、若者の意見でも軽んじることがないが、太正十四年初頭からいよいよ不穏な動きを見せ始めた陸軍大臣・京極慶吾とは以前からよく衝突しており、これがたぶんに陸軍と海軍の不仲説がながれる元となった。
ゲーム『サクラ大戦2』第四話の後には各財団から帝国華撃団への援助再開を働きかけたり、第八話の太正維新軍クーデターでは海軍をあげて叛乱の早期収拾に努め、さらに第十一話の武蔵前哨戦においては市民の避難を率先して行わせたりと、帝国華撃団/帝国歌劇団のよき協力者・理解者となった。
また『サクラ大戦活動写真』における海上からの援護射撃にも少なからず山口の力が働いたと見るべきであろう。



大河新次郎【Taiga Shinjiro】
2008年08月20日(水)

海軍少尉。
日本・栃木県出身。
紐育華撃団隊員として、日本からやってきた若き海軍少尉。
文武両道に優れ、素直で責任感が強い。
素直で何事にも一生懸命であるが、熱意がこうじてから回りすることも度々。
そのような新次郎に姿には周囲が手をさしのべたくなる。
また、支えずにはいられないひたむきさ、けなげさは、女性の母性本能をくすぐる所があるようにも思える。
新次郎は、女性に対しては礼儀正しく親切ではあるが、男女の心の機微や恋愛については、周囲に嘆息をつかせるほど鈍感で奥手である。
母・双葉(旧姓:大神)は大神一郎の姉であり、帝都と巴里を悪の手から救った大神一郎は叔父にあたる。
新次郎は、大神にあこがれ、幼少の頃から学問・剣技に励んできた。
その様子はゲーム『サクラ大戦 熱き血潮に』の双葉の手紙でも窺い見ることができる。
江田島海軍士官学校に入学した大河は、ずば抜けた成績で飛び級を繰り返し、太正十七年(1928年)春、卒業とともに、帝国華撃団司令長官・大神一郎の召集を受け、紐育華撃団への配属を命じられる。
リトルリップ・シアターでは叔父の大神一郎同様、モギリおよび劇場の雑務全般を務めつつ、紐育華撃団では当初「隊長見習い」、のちに「隊長」として活躍し、紐育を危機から救った。
心身の鍛錬のため、毎朝の木刀振りは欠かさない。



あめりか丸【"Amerika"】
2008年08月21日(木)

横浜から紐育まで大河新次郎を乗せた蒸気旅客船。
太正十七(1928)年すでにパナマ運河は開通しており、同船は(いくつかの経由地を挟み)横浜からパナマ地峡を通り大西洋に出て紐育へと向かうルートを進んだ。



エリス島【Ellis Island】
2008年08月22日(金)

ハドソン川の河口にある島。
ここには1982年に建てられたアメリカ合衆国移民局があり、移民の入国審査がおこわれている。
アメリカでの生活を夢見て海を渡ってくる人々には、新世界への玄関【The gateway to the New World】と呼ばれた。



カリーノ・ソレッタ
2008年08月23日(土)

[1885.8.23〜] 身長168cm 体重48kg CV榊原良子
ゲーム『サクラ大戦2』第十話に登場した織姫の母親。
イタリアの名門ソレッタ家の一人娘であった彼女は、かつてイタリアに画家修行にきていた緒方星也と恋に落ち、二人の間に一人娘織姫をもうけるが、家名を重んじた一族の手によってその仲は引き裂かれてしまう。
イタリア女性らしく、行動的で情熱的な女性であり、今でも緒方のことを深く愛している。
太正十四年、織姫が日本に渡り、父親と和解したことを知ると自身も来日し、緒方と再開を果たした。



葵叉丹<1>
2008年08月24日(日)

[????〜1925?] 身長188cm 体重72kg CV家中宏
黒き叉丹。
黒之巣会四天王のリーダー格。
太正十二年〜十三年にかけて降魔を率い、帝国華撃団と戦った真の黒幕。
その正体は元陸軍少佐・山崎真之介。
かつては陸軍対降魔部隊隊員として魔物と戦った人物であった。
悪魔王サタンの化身であり、いくども転生を重ね、あるときは英明な領主、またある時は魔と戦う剣士、さらには力と野望と魔を体現する悪の権化として、歴史の中で善悪さまざまな役割を果たしてきた。
二剣二刀の一振り、光刀無形を佩刀とする。
天才的な技術者であり、帝国華撃団の霊子甲冑「光武」の設計、そしてかつての黒之巣会の魔操機兵や楔など蒸気力を使った装備のほとんど全てが彼の手によって作り出された。



葵叉丹<2>
2008年08月25日(月)

叉丹の前身、山崎真之介が1915〜1918年の降魔戦争において圧倒的な魔の力に魅せられ行方不明となるが、その後、彼自身が修得した反魂の術により怪僧・天海を復活させ、自身は「葵叉丹」を名乗り黒之巣会のブレーンとして帝都の平和を脅かした。
太正十三年には降魔を率い、風水都市・大和&聖魔城を浮上させ帝都を魔の支配下におかんと企むが、敗北し滅ぶ。
太正十四年には京極慶吾の反魂の術により復活させられるも、帝都花組の前に再び破れ、鬼王の一突きによって死亡した。



神威【かむい】<1>
2008年08月26日(火)

全高:3424mm
乾燥重量:2496kg
行動限界時間:不明
葵叉丹の乗る漆黒の魔操機兵。
霊子核機関を二基直列に並べるという、後の新型霊子甲冑「神武」にも共通する設計思想によって、出力は帝国華撃団の制式兵器「光武」の約四倍にも達していた。
天才科学者ある葵叉丹=山崎真之介が生み出した神威はすぐれた設計・機体性能・潜在力ゆえ、皮肉にも同じく彼の発明による「光武」シリーズ同様、悪の側にとっての”名機”となった。



神威【かむい】<2>
2008年08月27日(水)

後に太正十四(1925)年に帝都を脅かした黒鬼会、その魔操機兵すべてを設計した木喰さえ、山崎真之介(=葵叉丹)と鬼王が乗る闇神威には、元の設計にわずかな改良を施したのみというのがその証である。
ただし、この神威型魔操機兵の直列型霊子機関は極めて高い戦闘能力や機体性能の代わりに、操縦者に並外れた霊力(妖力)を要求し、叉丹以外に使いこなした者は現在までの所、降魔殺女(『サクラ大戦』第十話で紫色の神威を使用)、鬼王=真宮寺一馬(『サクラ大戦2』で闇神威を使用)の二人しかいない。



龍神祭り
2008年08月28日(木)

OVA第二期『轟華絢爛』第二話、小説『轟華絢爛』に登場した八月二八日に行われる大川神社のお祭り。
大川神社は水神ともよばれ、御神体の龍を祭り土地の鎮守とする聖域の森に建てられているである。
氏子は主に地域の人々で固められているが、実際は水難に対する鎮護という意味合いから水神講という船主仲間の組合がこの祭りを支えている。
御神体の舞いを踊りながら水入りする際、氏子の子供たちが御神体に水をかけ、川に流すのをもって祭りは終了する。
太正十五年の祭りへの帝都花組の飛び入りはさぞ衆目を驚かせたことと思われるが、これ自体は別段バチ当たりな行為ではない。



受信許可証
2008年08月29日(金)

太正十二年に開局した帝都ラジヲ「有楽町帝撃通信局」を聞くために必要だった許可証。
蒸気ラジヲ(ラジオ)が急速に普及し、放送を聴取できる家庭が急増したため、後のお台場放送局では許可証がいらなくなった。



破邪の血統<1>
2008年08月30日(土)

または破邪の血。
破邪の力をもって魔を狩る一族の血統のこと。
裏御三家とも呼ばれる。
この裏御三家(真宮寺、藤堂、隼人)に連なるものには、魔物に対抗しこれを滅ぼす強い霊力と技が受け継がれていたが、徐々に衰退した結果、太正の世には宗家としてその血をつたえるのは真宮寺家ただ一つとなってしまった。



破邪の血統<2>
2008年08月31日(日)

破邪の血統(=裏御三家)が、日本の歴史に登場した新たな魔物「降魔」と戦い始めたのは1500年代まで遡る。
そこからは常に破邪の血統が魔物を追い、狩ってゆく歴史が繰り広げられてきた。
特に降魔はその強力きわまる戦闘力/妖力のため「破邪の血統」に連なる者によって滅ぼすのが最良の方法と伝えられており、通常の手段では調伏しかねる強大な魔的存在あるいは大規模な魔的災害に対しては必ず三家のいずれかが「人柱」となって魔を鎮めてきた。
その際に用いられる祭器が魔神器であり(降魔戦争における真宮寺一馬のように)使用はほとんどの場合術者の命が代償となる。




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